京都に一泊いたしました。なぜなら、もう一度、東寺さんの生身供に参列したかったから!
東寺さんのホームページに5:50頃お越しくださいと書いてありましたが、誰もおらずしかも真っ暗… 鐘の鳴る6時に皆さま自然と集まってこられました。自分、6月にも早すぎは良くないと思ったじゃないか!←学生時代の5分前行動が身に染み付いておりまして(-_-;)
次は、御影堂が完成してから、と思いましたが、7月に亡くなった伯父の葬儀・法要に参列して、考えさせられたことがあったため、再びお伺いしたくなったのです。
東寺さんの生身供は、弘法大師さまに一の膳、二の膳、お茶を僧侶の方がお供えされます。その際、信徒の皆様がお経を唱えられます。そして6時20分頃から、弘法大師さまが唐より持ち帰ったとされる仏舎利を僧侶の方より授けていただけます。
御影堂が修理中のため、現在は上の写真の大日堂にて行われております。御影堂の工事は年内いっぱいくらいまで行われるようです。
仏舎利を授けていただいたからか?それとも毎日参拝されている信者の皆様が親切だからか?6月に参拝した際、信者の皆さんの読経が私にはとても心地よく、良い経験になったと感じておりました。
ところが… この7月に亡くなった伯父の葬儀が新興宗教式で、こちらも信者で読経をあげるものだったのに… なぜだか身体が全く受け付けず、とても気味の悪いものとしか感じられなかったのです。四十九日法要要は耳栓をしておりました(-_-;)
伯父は最期までその新興宗教に入るのは拒否していたようですが、伯父以外の家族全員がその宗教の信者だったため、そのような葬儀になったようです。伯父は…あの世でどう思っているのでしょうか。いっそ、あの世などなく三途の川も閻魔様も何もないといいのだけれど、と、思っておりますが、
信者の読経でも、心地よく感じられた東寺さんの生身供。気味が悪いと感じた新興宗教の葬儀・法要。一体何が違うのだろうと考えて、再び東寺の生身供に参拝いたしました。
その答えを今回自分で掴むことはできませんでした。そんな2回参列しただけでわかるような浅いものではないのは当然でしょう。弘法様に大笑いされてそうです(-_-;)
けれど、弘法大師さまを信じる皆様が1200年以上途切れていないこと、御影堂が完成したら改めて参拝したいと思う自分の心には間違いがなく。嫌だったら早起きの苦手な私がわざわざ行きません(-_-;)
答えは出ませんでしたが、きっとまた、自分は朝早く起きて東寺さんへ参拝に伺うのでしょう。
京都の宿泊は四条のあたりがもちろん便利なのでしょうけれど、最近は東寺の生身供に参拝するため、八条・九条付近に宿泊しております。意外に静かですし、五重塔に見守っていただいている感じで(←個人的感想です)おススメですよ( ๑˃̵ᴗ˂̵)و