批判はしたくないと書いたけれど
やはり
神戸の例のアスナロの木のことが
気になります。
で。
このサイトのページを紹介するなんて
敵に塩を送る気持ちにもなりますが
(ウチは過疎ブログなので関係ないですね)
木造建築で
樹木としての命は尽きているけれど
法隆寺は、そこにまだ生きている。
1300年。
偶然なのかもしれない。
作った人は
1300年先の未来を見ていたとは
到底考えられない。
けれど私の命が尽きても
法隆寺はきっと、生き続けているはず。
生命を活かすということ。
私も不勉強で
うまく言葉になんてできないけれど
こんな対談があったのに
なんにもわかってなかったんだなと
余計残念な気持ちです。